報告
2005年3月12日別れました。
最初の彼と別れたときは、そのときの良くわからない勢いで別れて、後にすごく後悔して、今でもかなり引きずってて。
その後の人達とは、大揉めしたり、別れ話をしてもお互いに泣いて、やっぱり別れるのは嫌だって(悪い意味じゃなく)別れるまでに何ヶ月もかかったり、別れるのにもっと感情的だった。
でも、今回の私は淡々としてる。
最初のときみたいに訳わかんない勢いで別れたわけでもなく。
感情的になって別れ話をしたわけでもなく。
なんというか、私の中では「このままやっても無駄だ」ってことがあまりにはっきりしてた。
相手は最後に、私のことがこんなに好きだっていろいろ言ってくれて、それには心が少し動いたけど、でも無理だな、と。
好きだといってくれる気持ちを疑うわけじゃない。
でも、好きな相手を汚い言葉で罵れる人とはやっていけないよ、と。
自分では私を受け入れてるって言ってたけど、どう考えても私を受け入れてくれてる風じゃなかったし。
結局は好きじゃなかったのかもしれない。
というか、最初から好きじゃなかったんだよね。
相手が好きって言ってくれたから、舞い上がって相手を好きだと錯覚しただけで。
そんな錯覚で6年も付き合ってた彼女と別れさせたのか、と思うと申し訳ない気持ちにはなるけど、私には無理です。
こんなこと言うとものすごく傲慢だけど。
私は彼には上等すぎるのです。
自覚はないかもしれないけど、何だかんだで私の学歴や進路を気にしてるようだったし。
学歴やらそういうものが女として上等かというと、そうではないのだけれど、まぁ、そこに引っかかる人だったわけで。
もっと、女の子として上等な人と付き合ってください。
私はそういう部類には入れません。
なんだかこう、盛り上がらない別れでした。
もしかしたら、しばらくして後悔するのかも知れないけど、それも啓輔君に対する後悔に比べたら微々たるもので。
そんなことを思っている以上、やっぱり付き合って行けないなぁ、と。
しばらく前に、友人に「もう別れるのは決まってて、後は砂時計の砂がいつ落ちきるか、それだけの問題」という話をしたけれど。
正直、砂が落ちきった、とは思ってない。
まだやっていこうと思えばやっていけた。
でも、そういう話をしたことがきっかけで、踏み切れたのかな、と。
これを機に、今度こそ一人で立てる女にならねばね。
最初の彼と別れたときは、そのときの良くわからない勢いで別れて、後にすごく後悔して、今でもかなり引きずってて。
その後の人達とは、大揉めしたり、別れ話をしてもお互いに泣いて、やっぱり別れるのは嫌だって(悪い意味じゃなく)別れるまでに何ヶ月もかかったり、別れるのにもっと感情的だった。
でも、今回の私は淡々としてる。
最初のときみたいに訳わかんない勢いで別れたわけでもなく。
感情的になって別れ話をしたわけでもなく。
なんというか、私の中では「このままやっても無駄だ」ってことがあまりにはっきりしてた。
相手は最後に、私のことがこんなに好きだっていろいろ言ってくれて、それには心が少し動いたけど、でも無理だな、と。
好きだといってくれる気持ちを疑うわけじゃない。
でも、好きな相手を汚い言葉で罵れる人とはやっていけないよ、と。
自分では私を受け入れてるって言ってたけど、どう考えても私を受け入れてくれてる風じゃなかったし。
結局は好きじゃなかったのかもしれない。
というか、最初から好きじゃなかったんだよね。
相手が好きって言ってくれたから、舞い上がって相手を好きだと錯覚しただけで。
そんな錯覚で6年も付き合ってた彼女と別れさせたのか、と思うと申し訳ない気持ちにはなるけど、私には無理です。
こんなこと言うとものすごく傲慢だけど。
私は彼には上等すぎるのです。
自覚はないかもしれないけど、何だかんだで私の学歴や進路を気にしてるようだったし。
学歴やらそういうものが女として上等かというと、そうではないのだけれど、まぁ、そこに引っかかる人だったわけで。
もっと、女の子として上等な人と付き合ってください。
私はそういう部類には入れません。
なんだかこう、盛り上がらない別れでした。
もしかしたら、しばらくして後悔するのかも知れないけど、それも啓輔君に対する後悔に比べたら微々たるもので。
そんなことを思っている以上、やっぱり付き合って行けないなぁ、と。
しばらく前に、友人に「もう別れるのは決まってて、後は砂時計の砂がいつ落ちきるか、それだけの問題」という話をしたけれど。
正直、砂が落ちきった、とは思ってない。
まだやっていこうと思えばやっていけた。
でも、そういう話をしたことがきっかけで、踏み切れたのかな、と。
これを機に、今度こそ一人で立てる女にならねばね。
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